東京大学医学部家庭教師研究会 東大医学部生、東大理3生が、成績の上がる勉強の方法を教えます

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当会の教育方針

大学受験には「やり方」があります。

それは、迷信的な「心構え」でもありませんし、「気合い」のような単なる精神論でもありません。

もっと当たり前のことであり、まっとうなことです。

勉強をしてきている人にとっては、「ごく当たり前」である知識がたくさんあります。そして、そのような知識だけで、ほとんどの大学に合格できることもわかるのです。

ところが、勉強量が少ない講師には、この軽重がわかりません。そこで、どういうことになるかというと、「傾向」や「出題頻度」を持ち出してきます。これらは、学力がない講師にでも、分析が可能だからです。

ところが、勉強の知識というのは体系的なものですから、単に高頻度の知識を覚えるだけでは「体系」としての理解ができず、「わかった」という感覚も得られません。いつまでも、穴だらけの知識に不安が出てきます。

一方、しっかりと「要点」を理解しながら覚えてゆくと、知識に穴がある状態でも、自信がついてくるのです。「合格点は狙えるぞ」と体感としてわかってきますし、なにより「わかった」という感覚が得られるからです。

この「軽重」というものは、経験的なものですので、客観的に証明することはむずかしいです。

その点、出題頻度と異なります。

しかし、面と向かって「伝授」された人には、この意味がわかります。

「軽重」のうち「重」にあたる部分は、本当に重要であって、そこを徹底することが、受験を突破する鍵になると言えます。

当会の講師は、この「重要点」をズバリ教えてゆきます。

なかなか覚えられない場合も、とにかくしつこく教えます。もちろん、「覚え方」も教えてゆきます。

この「重要知識」の壁さえ越えてしまえば、受験はぐっとラクになるのです。

点数を目指して、目指さない

ここから先は、「高いレベルを目指す」人のためのものです。

ここから先に書いてあることが、わけわからなくても、「大学に受かる」程度のことであれば、達成できます。

もちろん、ここで言う「高いレベル」というのは、大学名のことではありません。あくまでも、「人生において」ということです。

発達のペースや、社会的評価を受ける時期は、各自異なります。大学受験時における大学名が、その後の可能性を規定するわけではないのは、当然です。

しかし、「多くの人が、大学名にこだわる」という現実があります。

ここを理解するには、「客観的指標を越えた、主観的価値観」を理解する必要があります。

私たち人間にとって、未来のことは不確定であり、保証はありません。

だからこそ、「保証」を求める強い気持ちを持っており、だからこそ、「有名大学」に入学することなどにより、未来の確実性を担保しようとするのだと思います。

ですけれども、これは、「未来の自分を信じない」ということです。

未来の自分が、そのときにおいて、まわりの状況を認識し、自分の状態を認識し、「どうすれば良いかを考え出して、生きてゆく」その力を信じていないということです。

この「未来の自分への不信」は、「今の自分への不信」につながり、「どうも自信がない」という状態が顕現することになります。

そして、このことは、日々の学習態度に影響を与え、結局、「どうも成績が伸びない」ということになってゆきます。

一方、自分を信じ、自らの頭で考えることを続ける人は、「どこまで伸びるか」は、その人の状況に依存すると思いますが、いずれにせよ、「伸びます」。そして、「伸び続けます」。

一例をあげるならば、「考える人」と「考えない人」とでは、解答を見るときの態度が違います。

「考える人」の場合は、解答を見るにしても、やはり、「考えます」。なぜ、こうなるのか。どうすれば、そんなことを思いつけるのか。自分なら、どうするのか。

そして、自分に「しっくり」来るまで、あれこれ考えるわけです。

この過程では、一見時間がかかりますが、しばらく経ってみると、「結局は早い」ということが多いです。

しかし、結局早くなるかどうかは保証されないので、「自分を信じる」態度がどうしても必要になるわけです。

つまり、ここで言う「信じる」は、「ダメならダメで仕方がない」という「受け入れ」も含んでいるということです。

私たち人間は、「現状」や「結果」については受け入れざるを得ず、開かれている可能性は、「今の行為(選択)」にあるということです。

「考えない人」は、「解答を見て、覚える」ということをします。

おそらくは、「その方が合格しやすい」という判断があると思いますが、合格を優先しようとして、自らの頭の発達を阻害してしまうというのは、本末転倒なのではないでしょうか。

「考え出す」ということをしなければ、考え出す力が発達しません。むしろ、退化してしまいます。

そのような生き方(学習法)をしていれば、「ただ、指示待ちをする人間」になってゆくことは、わかっているわけです。

世間では、「教育」と称して、「思考停止人間」を大量生産するような方法が、堂々とまかり通っています。

政治が民度を反映するように、教育機関のレベルも、「教育を受けたい人」たちのレベルを反映しているのです。

「教育を受けている」つもりで、「可能性を閉じて」ゆき、「これ以外には、生きる術がない」くらいまで、可能性を絞り込むようなことが行われています。

「生き生きしている」こととは、程遠い状態です。

そのときそのときの状況において、「自らが進みたい世界」「みんなを連れて行きたい世界」があり、現状からそこに向かう可能性が「見える」ような人を育てるのが、教育なのではないでしょうか。

子供のときから、「答えを教え込む」ようなことをして、なんとも思わない人が増えているのが現状です。

「子供の将来の選択が広がるから」と言いながら、固定的な「知識」を丸暗記させているのです。

本当に、それは、未来の可能性を広げているのでしょうか?

「考える人」の場合は、「覚える」としても、「解答を見て、考えて、自分流にして、覚える」ということになります。

この過程には、「考え出す」ということが含まれます。

受験勉強も、人生の一場面であり、その場面において、そこを進むために、自ら考え出し、生み出すということをやっているわけです。

受験期は、人生の全体図から見れば、準備をするような時期ではありますが、それもまた、同時に「人生の一部」なのですから、一般的に人生に対する態度、すなわち、「今をどう生きるか」ということについて、差があるわけではないのです。

もちろん、知識の中には、「とりあえず、覚える」ことが要求される種類のこともあります。大切なのは、その判別を「自分の頭で考えて」行っているということです。

大学受験においても、高いレベルを達成できる人は、この種のことを知っています。

つまり、「本当に高得点を取るためには、点数を取ろうとしないのが良い」ということを(意識的に、あるいは、感覚的に)わかっているのです。

そして、それでありながら、「(強烈に)点数を取ろうとしている」側面があるのです。

これは、単純に考えると矛盾しているようですが、生き方としては、両立可能なことです。

優先されるべきことは、「点数」ではなく、「自分がわかること」「自分が成長すること」です。

そして、それこそが、「点数を取る方法」であることを、わかっているのです。

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